HM STING 12 26th, 2011
イカ釣りの専門誌にタコ釣りの釣行記を掲載しています。試行錯誤を繰り返す、私のこの秋の低迷っぷりも一入ですが、今号では何気に良い型を釣り上げています?!(笑)お求めは書店、釣具店でドウゾ。
「こだわりのスタイル」がどうのこうのとしきりに入るナレーションは何だか言い訳のように、言うほど荒磯ではない磯でベイトタックルを振る釣り人を懸命にかばう。BSで放送されている釣り番組で、パイオニアとかカリスマとかとされる?釣り人の釣行が放送されていた。
そのこだわりとやら覗いてみれば何のことはない。設えられたピカピカのアンバサダーはオールド品でもなければただの現行品。二十一世紀の釣具はそうだねー滅多に錆びないだろうねーとそのこだわりとやらを訝しむ。
6000番台のオールド・アンバサダーを海水で使用すれば、たちまち錆びとの闘いが開戦する。クリックホイールをはじめ、どうしても錆びてしまう特定の部品がギア部に集中するため、使用後の完全分解洗浄は必須だ。これは手間であり面倒な作業だ。そもそもオールド品はその性能・機能面でも現行品に当然劣る。それでも全てを払拭する最大の利点があるのはSO、「カッコイイ」から他ならない。不合理で機能的でもないが、それでもカッコイイから使用する。それを「こだわり」と人は解釈するのだと、私は信じて止まない。
現行品のベイトタックルを何だか引けた腰で磯から投げるその釣り人の姿に、視聴者はどんなこだわりを見出せば良いのだろうか。特別ベイトタックルで挑む理由もなければ、特別カッコイイわけでもない。ましてはそれで釣果を伸ばせているわけでもなく、いや、むしろ釣れていないではないか——
貧果で成り立たない番組はこだわりの釣り人に、いよいよスピニングタックルを持たせた。それでようやく釣れた一本だったが、小型だった。飛行機乗って遠征して番組まで担いだ釣果の言い訳が全てその謎の「こだわり」だとしたら、そんなこだわりは即座に捨てるべきである。バカか(笑)不合理で、機能的でなくとも、だ。それでも結果を残すからカッコイイのであり、こだわりなのではないか。釣れないけどカッコイイ?バカか(笑)
以前にもこの釣り人の釣行が放送されていたが、取材対象を間違えてるのでは?テレビやメディアなどはそんなものなのか。パイオニアとかカリスマとか呼ばれている?のなら、せめて命かけろよ、命——
テレビの画面に向かい声を荒げる、師走の私でありました(笑)
HM STING 11 14th, 2011
それはスレ掛かりじゃないの?という大方の見解を無視して堂々と言い張るのだから、やはり本当にルアーに食らいついてきているのだろうか。コノシロをハードルアーで釣るという無謀な挑戦、それが「コノシリング」。挑む釣り人、三浦 J FOXは独自の釣法をそう命名したが、やっぱりそれはスレ掛かりじゃないのかなと私も思う(笑)
タコも今年は良く釣れますよと自宅裏での釣果を報告する氏だったが、その極上の食材を食卓には上げないというから何とも勿体ない。市場に出回る輸入物とは雲泥の差がある地物のマダコ。抜群の食感で食味はとても淡い。そして元気の源とされるタウリンが豊富に含まれている健康食材でもあるのだから、食べないのはやはり大変勿体ない。
週末になれば北へ南へとタコを求めて釣り歩く最近の私だったが、釣趣だけではなくこの食味が原動力の一つでもあるのだ。
——午前五時半。北の漁港で夜明けを待つ。予想通り、釣り人の姿はなく穴場は健在していた。薄く明けてきた朝に釣竿を握るが、漁港内に仕掛けられていた多くの蛸壺に肩を落とした。壺に繋がるロープが岸一帯に張り巡らされ、釣ることもままならぬ有様。まさかその蛸壺近くで釣るわけにも行かず、明け方より早速釣り場にあぶれてしまった。北の漁港は穴場だが、釣り場というよりは漁場であったのだ。海の恵みを生業としているその蛸壺はきっと必死なのだろう。
仕方なく大きな漁港の大突堤で釣り竿を出すも、人気の釣り場ではそう簡単には当たらない。見渡せば多くのタコ釣り師がバカみたいなタコ釣り仕掛けを垂らしていた。
防波堤でのタコ釣りは底を取るのが基本とされる。仕掛けを直下に落として着底させ、その仕掛けをずるずると引いて歩くだけという、バカみたいに単純でとても退屈な釣りだ。先に釣り歩いた人が有利とされるのでそれは運試しと変わらない。その釣法は何度も言うがやっぱりバカっぽい。そんな釣りに相対し、あくまでキャスティング、投げて釣ることにこだわる私だったが、ルアーの操作性が悪い足場の高い釣り場では思うように釣果を伸ばせない。苛立つ私にプラスチックのカニを釣り針に載せた、旧式のタコ釣り師が話しかけてきた。
「どこもダメみたいだす」
貧果を分かち合おうという笑顔の口元だったが、前歯の抜けた隙間がまたバカっぽい。どの名だたる釣り場も釣り師も今日はダメだす、釣れていないからお宅も安心するだすと言われて、私の苛立ちはいよいよ頂点に達した。一緒にするんぢゃねぇ、このタコ野郎!
釣りは運試しではない。魚類へのそして自然への挑戦である。洞察し考察する行動力が技術になって釣果を生む。誰かが拾い損ねた魚を釣り上げることにどんな考察力が必用だろうか。私は私の釣りの原点に戻った。誰かと同じことをしていても、それでは何も始まらない。
広大な大海原を見渡せば、点在する沈み根が浅場にも多く見られた。美しい景観の岩礁帯だが、それ故に釣り人を硬く拒む。激しい根掛かりはきっと釣り人の心を容赦なく折るのだろう。釣り人の姿は皆無であった。
船に乗り沖に出れば?釣り人の少ない夜釣りに出れば?どれも卑怯でそれは何とも男らしくない釣りだ。蛸壺なんて論外だ。親から貰った二本足で対峙することに意味がある。夜行性の魚とて昼間に釣れないこともないのだったら、そのくらいのアドバンテージはくれてやる。釣りだからそれで丁度良い。たかがタコ釣りとさげすまされてきたのは、進化もせずただ呆然と底を取るバカな釣りを続けた人間が要因だ。一緒にするんぢゃねぇ、このタコ野郎!
岩礁に登り、根を読むと私は確信が持てた。根掛かりを回避させるアプローチのラインを考えて投げる。むき出しの岩陰にルアーを送り込むと結果は顕著に表れた。貪欲に捕食する磯のマダコは力強く、また浅場が故に強いアワセと早い巻き取りで勝負しなければ、簡単に底にしがみつかれるという難しい条件が揃う。時折襲われる強い波しぶきも、遮る人工物が何もなく正面に吹き付ける北風もまた厳しい。だからこそ結果は顕著に表れる。浅い岩礁帯でのキャスティング・ゲームは真夏のヘビーカバー・ゲームに通ずる、エキサイティングでエクストリームな釣りを感じさせ私を興奮させた——
刺身、唐揚げ、煮物に酢の物。大きな鍋にたっぷりの湯を沸かし、ほうじ茶を煎れる。内臓、目、くちばしを取り、丁寧に塩で揉んでぬめりを落としたをタコを足から入れて一分ほど茹で、大ざるに取って冷水で熱を落とせば出来上がり。何と言ってもマダコはレアに茹でた半生がとても美味い。あれこれと調理方法を考えているうちに、つまんで半分くらいなくなっているほど美味い(笑)砂地で簡単に、そして多く釣れるイイダコとて見くびるなかれ。醤油、砂糖、みりん、酒、五匹程度に対して、おおさじ一の同じ分量で煮ること十分ほどで照りが出てきたら完成。
これがまたお父さんにはお酒、女子供にはご飯が良く合う絶品。焦がさないように注意して、是非お試しを♪
HM STING 10 13th, 2011
何だか怪しげな居酒屋で昨晩頂いた鳥刺しが、若干お腹を刺激してます・・・それでも負けません。後悔はしません、No regret!
驚くほどの遠征をしたタコ釣りとは相反して、大本命の魚釣りはごく近所で納竿。好天となった十月の連休に今季最後の竿を出した。
結果から言えばノーフィッシュに終わったのだが、内容は実に後を引く、たっぷりの充実感で一杯となった。枯れた菱の葉より元気に顔を出した魚はすこぶる活性が良く、ナイス・アタックのオン・パレード!冬眠を意識した深まる秋の荒食いではなく、それは厳しい夏の残暑のように熱かった。
しかし、その熱さが要因でノーフィッシュ。右からそして左から勢い良く飛び出して食らいついてくる猛攻が故に、まったく釣り針に魚が乗らない。というか、魚たちが興奮し過ぎちゃってしっかりルアーを食えていない。
胸の高鳴りはもう最高潮で最高にアグレッシブなこの日の釣りが、結果として何だか余計に悔しい。一匹も釣れていないのに既にボロボロのルアーも何だか哀しい(笑)
最後の最後にも課題を残し、少しだけしょぼくれてフィールドを後にした。
それでも、No regretだ(×)
HM STING 09 24th, 2011
新装したイカ釣りの専門誌に、何故か「タコ釣り」の釣行記を掲載しています。私のこの夏の低迷っぷりが余すことなく綴られています(笑)お求めは書店、釣具店でドウゾ。
注目の両関脇の金星に大盛り上がりの大相撲九月場所。稀勢の里関に続き琴奨菊関もやってくれました!気持ちが現れた取組というのは本当に興奮しますね。
晩秋と呼ぶにはまだ少し早いですが、菱藻が落ちて水面を流れて行くその様は秋の深まりを実感させます。しかし、夏の熱さが未だに頭を焦がしているのか。意固地になった釣り頭は冷静さを欠いて、妙なこだわりに苛まれていました。どうしてか例年この時季は強い竿、そして大きい疑似餌を使いたがる。下がる気温と水温に水生植物は薄れて行きます。魚の反応もこれにまた同じくなのですが、釣り人はこれに比例せず。終盤を迎え、更に夢は募るばかり。強い竿、大きい疑似餌でド級の魚を釣り上げる!きっとまだ熱い頭が夢を見せているのです(笑)
冷静になり、フィールドを考える。時合いと餌を考える。柔軟な竿と小型の疑似餌を持ち出し、朝と夕の短い時合いだけに集中する。良く整理された雑念のない頭で釣り糸を垂らせば、大興奮のやりとりの後に文句のない魚たちがたぐり寄せられた。どれも均整の取れた魚体で釣趣あふれる充実を与えてくれた。晩秋まであくまでド級にこだわるのも男らしいが、熱くなった釣り頭を秋風で冷ますとまた見えてきたことが沢山あった。
弟弟子の奮闘にも、結果振るわず若の里関。相変わらずの低迷は続きます。冷静になりそして気持ちを出して頑張れ、若の里!
(笑)
HM STING 09 11th, 2011
記されていた不思議な国土地理院の地図記号を図書館で調べた。その記号が記していたのが「崩落」であると分かった。なるほどな、崩落か——
かつて見たこともなかったそのスッゴイ記号にルートの変更を余儀なくされた。右岸からの高巻きルートを断念し、川を横断してから沢を登るルートに変更。実は陸路よりいささか楽なルートだが大回りの上、目的としている湖沼の対岸にしかたどり着けない。それでも二年越しとなるこのアタックを成功させ、魚が存在していることを確認することがまずは第一だとして渡河の再挑戦が始まった。
沢登るからウェディングブーツで来いと言ったのにニーブーツで、しかも相変わらずのスッゴイ軽装で現れた同行者。一応、流された場合の合流点を決めて入渓地点で今生の別れを済ましたのだが、幸運なことに減水しており軽装の人は余裕の表情を浮かべていた。
渡河に成功し、いよいよ沢に入った私たちの行く手を阻むのは倒木と虻の群れ。九月になりハイシーズンよりは幾分か落ち着いたかというのは思わせぶりに乾杯。未だ激しい虻の攻撃は当然、軽装の人に集中する。タイツの上からも刺されるのだから半袖の軽装の人なんて堪らぬものだろうと察するも、まだ余裕の表情。「こういうのはね、掻くと痒くなる」だから掻かないんだと、気力だけで痛さと痒さを乗り切る男らしさに、重装備の自分をちょっぴり情けなく思った。
結局は軽装の人が主導で沢を進む。切り立つ崖の岩盤を指差し「アレが落ちてきたら、死ぬね」とケタケタと笑いながら歩を進める軽装の人は、すこぶる頼もしい。沢の勾配は急ではなく水も低くて歩き易いが、とにかく藪っぽい。荒れ放題の沢はやはり登坂しても特別な意味を成さない名も無き沢だから、人が立ち入ることも皆無なのだろう。その先に在る湖沼もまた同じこと——
熊鈴の音が本当の静寂を割って響く。沢を登り、藪を抜けると目の前には何度も夢に見た光景が広がっていた。スイレンの葉が水面を覆う神々しい風景に声を失った。それでも我に返り、はやる気持ちを抑え釣竿を用意するも、早いのがこれまた軽装の人。静寂の中に打ち込んだ疑似餌にあの魚の反応が著しく見られた。激しい捕食音と共に消えた疑似餌—— 実在していたその湖沼の魚に私たちは感極まった。
およそ百年前に台湾や朝鮮半島より食用として移入された魚が繁殖したというのが定説であるが、その説に私は大きな疑問を抱いていた。固有種であると思わせる生息地が存在しているからだ。人の手による移入がかなわない場所にも生息している個体が在るということが、文献よりも確かである。しかし何よりも凄いことは、北の大地よりも厳しい厳冬期を越冬して命を繋げてきたその事実。繋がれた命にまずは大きな敬意を示すことが先決だろう。
沢を降りて入渓地点へと遡行する私たちに、すれ違った渓流釣り師がアドバイスを与えた。「この先の滝は、左から巻いて行け」「ニンフでなくドライで流せば、山女魚はいないけど岩魚が沢山釣れる」と、完全にフライフィッシングと間違えられた。それで良し。
次なるはやはり湖沼の対岸。崩落に苛まれた崖がそびえるからこそ、面白い—— 無事に帰還した軽装の人が語る。難攻不落だから面白いと、私もそう思うのである。